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【追悼コラム】平尾誠二さん「やりたないなあ…」から快諾してくれた表紙

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平尾誠二さんが53歳という若さでお亡くなりになった。

 

今日のスポーツ界はプロ野球のドラフト会議で大いに盛り上がっていたが、私の印象としてより大きく報じられたのは平尾さんの訃報だったと思う。ラグビーに詳しくない方でもその名と顔はほとんどの方がご存じだろうし、その輝かしい功績をここであらためて説明する必要はないだろう。まさに日本における「ミスターラグビー」であり、日本のスポーツ界を代表する方でもあった。

 

今日は私的な話を書くことをお許しいただきたい。私がラグビーの取材に関わるようになったのは10年前のこと。『ラグビー魂』というムックを前職の白夜書房で立ち上げたときのことだ。右も左も…いや、ラグビー流に表現するならオープンもブラインドも分からない一ファンに過ぎない若輩者の私だったが、創刊時に大変お世話になったライターの大元よしきさんのご紹介で、平尾さんと同じく元日本代表・神戸製鋼の林敏之さんとつながりを持たせていただき、そのご縁で「H2O」(林敏之さん・平尾誠二さん・大八木淳史さんのイニシャルを並べた「ユニット名」)の鼎談をお願いできることになった。

 

神戸製鋼のV7を支えた偉人たち。自分にとってはテレビの向こう側の“神々”だ。私だけでなく、所属する白夜書房の上層部も急に色めき立ち始めた。

「平尾さんに話が聞けるなら、平尾さんを表紙にしよう」

むろん私もそう考えていたが、いざ会社からそう言われると躊躇してしまうひねくれた性分だった。とはいえ、『ラグビー魂』の続刊を出していくためには商業的に成功させなければならず、何よりラグビーの本を立ち上げて刊行し続けることは学生時代からの夢だった。そして、社会人になって数年たってもその延長線上の素人編集者でしかなかった私が、あの平尾誠二と会って取材することができるのだ。ならば表紙は平尾さんしかいない。逡巡はなかった。

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神戸製鋼のクラブハウスでじっくり90分間、3人のレジェンドたちに鼎談していただいた。夢のような時間を過ごした後、話を終えてソファーからひとり席を外した平尾さんに思い切って声をかけた。かなり勇気が要った。

「平尾さん、このムックの表紙にご登場いただけませんか?」

当時の社の方針もあり、表紙は写真でなくイラストでいくことが決まっていた。普通のラグビー雑誌とは一線を画した、一歩間違えばサブカル系イロモノ雑誌のようなイメージだ。それも伝えて了承を得ようとしたが、平尾さんの答えはこうだった。

「うーん…やりたないなあ」

やりたくない。やはりダメか。まだ何者かも分からないムックの表紙にご登場いただけるはずはなかった。と、あきらめかけたとき、

「インタビューのゲラと一緒に、表紙のラフも送ってくれるか?」

そんなお返事をいただいた。一転、事実上OKが出た瞬間だった。もちろんその場でお礼を伝えたが、なぜOKだったのかまでは聞けなかった。笑顔の絶えない楽しい鼎談だったからなのか、新しい媒体だから味方になってくださったのか。いずれにしてもホクホク顏で新神戸から新幹線で帰京したのをはっきり覚えている。

 

稚拙な言い回しだが、かっこいい表紙にしたかった。そもそもラグビーは世界一かっこいいスポーツなのだし、何より平尾さんがモチーフなのだから。イラストのラフが複数枚あがり、私は一番かっこいいと思ったものを選んだ。上司は首を横に振った。「これでいこう」と指さされたラフは私が真っ先に候補から外した、平尾さんが爆笑している瞬間のイラストだった(表紙画像参照。インタビュー中の写真を抜粋して描いていただいたものだ)。

 

これはない。これだけはない。たしかに書店で並んだときに目立つ表紙になるかもしれないが、平尾さんのクレバーさやかっこよさを打ち消してしまうようで、とにかく嫌だった。何より、不承不承OKしてくださった平尾さんにそのラフを送ること自体、失礼極まりない。上司と掛け合ったがその決定は覆らず、私はおそるおそるそのラフを平尾さんに送った。ほどなくして、拍子抜けするほどあっさりとOKの返事をいただく心からホッとした。大元さんに書いていただいた鼎談の原稿もほぼ一発でOKとなった。

 

校了直前、「H2O、読むのが楽しみだなあ」と本の完成を心待ちにしていた私の父が脳梗塞で急死した。父に『ラグビー魂』を読ませてあげられなかったのは10年経った今もずっと心残りだ。表紙の色校と鼎談の青焼きを棺に入れたかったのだが、納棺にはわずかに間に合わなかった。しかしそのかわり、数多くの読者が驚きをもってこの鼎談を読んでくれた。名もないラグビー本としては上々のキックオフは、H2Oのお三方、そして大元さんなくしてはあり得なかっただろう。とりわけ、ゲラチェックなどで直接やりとりさせていただいた平尾さんには感謝しかないし、今となってはあの表紙をチョイスして平尾さんからOKをいただいたからこそ、結果的にムックとして良好な船出になったのだと思っている。

 

その後も時々、平尾さんをラグビーの現場でお見かけした。引っ込み思案な私は雲の上のスーパースターに気軽に話しかけることなどできなかったが、逆に平尾さんの方から気付いて声をかけてくださったこともあった。一見クールに見えてその素顔はとても気さくで、やさしい京都弁で話しかけてくれる、テレビでのイメージとはまた違うかっこよさを持つジェントルマンだった。

 

平尾さんだけでなく、若くしてお亡くなりになった上田昭夫さんも石塚武生さんも、日本ラグビーの“神々”はみなさん一様にこちらが恐縮するほどフレンドリーで、取材にも協力的だった。ラグビーが和を尊ぶ競技だから──それが一番の理由だろう。しかし加えて、単なる私の思い上がりかもしれないが、『ラグビー魂』という新しいムックを立ち上げた私の「ラグビー熱」をみなさんが少なからず感じ取ってくださったから、親身になって協力していただけたのかもしれない。ずっと謎だった、平尾さんが「やりたないなあ」から一転してOKしてくださった理由もそこにあったのかな──この原稿を書きながらそんな結論にたどりついた。それこそお前の思い上がりだろう、とお叱りを受ける覚悟はできている。

 

ラグビーが素晴らしいスポーツであることを教えていただき、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

<取材・文/齋藤龍太郎(楕円銀河)>