【日本代表再始動】平尾ジャパンの魂を継ぐ二人のコーチ

きょう、ラグビー日本代表は東京に再集合し、明日から2度目の合宿をスタートさせます。練習は明日、明後日の2日間ですが、その後アルゼンチン戦及び欧州遠征のメンバー発表を経て、月末からあらためて11月の4連戦に向けた合宿が始まります。

 

今回から日本代表にスポットコーチとして加わり、FW、とりわけセットプレーの強化を担当することになったのが、ヤマハ発動機FWコーチの長谷川慎さん(冒頭のメイン画像中央)です。京都の東山高校から中央大学を経て、サントリーの絶対的左PRとして君臨。もちろん日本代表としても活躍し、1999年と2003年にはラグビーワールドカップに出場、重ねたキャップ数は40にのぼりました。そんなPRの名手は、引退後サントリーとヤマハ発動機でコーチとしての手腕を発揮し、強いスクラムがチームの大きな武器となっているヤマハの快進撃を支えています。その実績が認められて日本代表に招聘された、というわけです。

 

先日亡くなった平尾誠二監督率いる平尾ジャパン(1997年〜2000年)の一員だった長谷川慎コーチが、平尾さんへの思いや代表に抜擢されたときの感謝を語ってくれました。

「平尾さんが僕を代表に選んでくれて、育ててもらって、信じて使ってもらいました。なかなか面と向かってお礼を言うことができなかったですけど、感謝してもしきれないほどです。『ありがとうございました』とお伝えしたいですね」

京都府出身の長谷川コーチにとって、同じく京都から世界へと羽ばたいた「ミスターラグビー」平尾さんは憧れの存在でした。

「平尾さんに(名前を)呼んでもらうだけでも、話してもらうだけでもうれしかった記憶があります。高校、大学とずっと(平尾さんのプレーを)見ていましたから、悲しいですね」

長谷川コーチにとってそんな存在だった平尾さん。平尾ジャパンとして臨んだラグビーワールドカップ1999年大会だけでなく、その後の向井ジャパンでも高く評価され、2003年大会も続けて出場を果たしました。まさに自分を見出し成長させてくれた恩人でしょう。

 

指導者として日本代表に戻るにあたって、平尾ジャパン当時のノウハウや思いを持っていきますか、と聞くと、

「いえいえ。平尾さんの(日本代表の)ときとはラグビー自体が変わっていますし、環境も変わりました。もちろん平尾さんのやられていたことに憧れていたし、やっていて楽しかったですけど、それをそのままやろうとしてもうまくはいかないでしょう。新しいものを作るしかないですね」

と答えた長谷川コーチ。まさにその「新しいもの」をヤマハで作り上げ、優勝を射程圏内に入れる強いチームに育て上げました。

これまでどおり(指導するだけ)です。細かいことは選手に会ってからですね」

と意気込む長谷川コーチ。その手腕を日本代表でも大いに発揮してくれると信じています。

 

そして、その平尾ジャパンで長谷川コーチともに選手としてプレーしていたのが、ジェイミー・ジョセフ現日本代表ヘッドコーチ(以下HC)です。1995年のラグビーワールドカップにはニュージーランド代表として出場し、日本代表を145-17で退けたメンバーでした。しかし同年から日本のサニックスでプレーを始め、その後日本代表に選出(当時と違い現在は、他国でフル代表でのプレー歴がある場合2か国目の代表選手になることは原則としてできません)。1999年大会では平尾ジャパンの一員として活躍しました。

 

平尾さんの訃報が報じられた10月20日、都内でラグビーファンを集めて開催されたイベント「みなとスポーツフォーラム」で登壇したジョセフHCは、自身のプレゼンテーションを始める前に平尾さんに黙祷を捧げるよう来場者に呼びかけました。およそ30秒間の黙祷。ジョセフHCは直立不動で、かつての対戦相手であり、かつてのボスでもある平尾さんを偲びました。

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フォーラムの中では、1999年に平尾ジャパンの一員としてラグビーワールドカップに出場したことなど自身の経歴について触れたほか、別途、平尾さんへの追悼コメントを残しました。

「この度、平尾さんがお亡くなりになったことを耳にして大変なショックを受けています。
平尾さんに初めてお会いしたのはラグビーワールドカップ1995でした(当時、平尾さんはメンバーの一員でした)。その次のラグビーワールドカップ1999では私は日本代表のメンバーとして参加しており、平尾さんは監督でした。
偉大な方が亡くなった時はいつもそうですが、特にラグビーに関係する方がお亡くなりなった時には、強い悲しみを覚えます。
この度の訃報に接し、平尾さんご本人はもちろんご家族にも思いを寄せています。
ご家族に敬意を表して、平尾さんへのお悔やみを申し上げたいと思います」

 

ジェイミー・ジョセフ。長谷川慎。かつての平尾ジャパン戦士たちが指導者として日本代表に戻ってきました。当時のことや亡き平尾さんに思いを馳せつつ、当時とはまったく違う最新のラグビーコーチングノウハウで、日本代表の強化を進めていくことになります。

 

2019年のラグビーワールドカップで日本代表が決勝トーナメント進出という分厚い壁を破り、文字通り満開の桜を咲かせることができれば、それは昨年までのエディージャパンのみならず、平尾ジャパンの時代から蒔かれてきた種の開花、結実とも言えるのかもしれません。

 

<取材・文・写真/齋藤龍太郎(楕円銀河)>

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