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【ジャック・フーリー引退】世界一のCTBが最後に語った「神戸愛」とファンへの感謝

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ラグビーワールドカップ2007フランス大会で南アフリカ代表の優勝に大きく貢献し、世界一のアウトサイドCTBと賞賛されたジャック・フーリー選手(神戸製鋼)が、1月14日(土)のトップリーグ最終節サントリー戦をもって現役を引退しました。

 

長年スーパーラグビーのストーマーズで活躍し、南アフリカ代表としても72キャップを数えた名手。2011年にパナソニックでトップリーグデビューを果たし、その爆発的なランでファンに鮮烈な印象を与えました。翌年から神戸製鋼でも活躍、5シーズンを戦い抜き、そのまま日本で選手としてのキャリアを終える決断をしたわけです。

 

サントリーが優勝を決めたゲームが引退試合となったわけですが、神戸製鋼もリーグいちのアタック力を誇るサントリーを封じながら得点を重ねて混戦に持ち込み、途中出場ながらフーリー選手もそれに貢献していました。動き、コミュニケーション、それらを含めた全体的なパフォーマンス。どれをとっても引退してしまうには惜しい働きぶりでしたが、フーリー選手自身としては「ベストなタイミング」だったと言います。

 

その真意はどこにあったのでしょうか。ファンへの謝意、そして日本の環境、ラグビーを愛してくれた好漢の、選手として最後のメッセージです。

 

──サントリーの優勝がかかる試合でした。

 

「自分たちのスタイルをポジティブな形でサントリーに対して出していこうという話をしていました。それができた、いい試合だったと思います」

 

──ラストゲームに臨む心境はいかがでしたか。

 

「チーム全体がポジティブにアプローチしていましたので、自分もそうできましたし、先週の結果(16−23でクボタに敗戦し日本選手権出場権を逃す)はチームにとってネガティブなものではありましたが、そこからポジティブに変えていこうと(臨んで)、それができたかなと思います」

 

──ピッチへの入場は橋本大輝キャプテンではなく、フーリー選手が先頭でした。

 

「橋本キャプテンの方から『先頭に行ってくれ』と提案されました。今日の試合についても先頭を切ってリードしてほしい、という気持ちを込めて送り出してもらいました」

 

──引退を決めたきっかけは。

 

「15年間ラグビーキャリアを積んできて、もうその時が来ているのかなと感じていました。体の疲れが出てきているのも自分自身感じていましたし、自分のタイミングで辞めたいという思いもありました。それを考えた上で、自分にとってベストなタイミングかなと思ったのが一番のきっかけです。家族との時間を大事に過ごしていきたいという思いもありました」

 

──今季、大きなけがはあったのでしょうか。

 

「現時点ではけがしていませんが、過去数年間、何回かけがをして回復して、というのを繰り返して、(思いどおりの)プレーをするのが難しい状況ではありました」

 

──日本でのプレーの思い出は。

 

「ポジティブでいいラグビーをしていきながら、南アフリカでのプレーを終えた後に『新しいスタイルのプレーをしたい』という思いがあって、セカンドキャリアを日本でスタートしたことで非常にリフレッシュできましたし、自分にとってとてもいい時間でした」

 

──日本での思い出の試合は。

 

「自分にとってはどれも重要な試合でしたし、常に記憶に残る試合になりました。ただ、特に自分の記憶に残っているのは、やはり神戸製鋼のためにとったトライ(の数々)です」

 

──今後のキャリアについてはどう考えていますか。

 

「今の時点では国(南アフリカ)に帰って、家族や友達との時間を過ごしながらコーチングのキャリアをスタートさせたいです。もしかしたら数年後、日本に帰ってくることになるかもしれません」

 

──神戸製鋼がどんなチームになっていくことを期待していますか。

 

「常に気持ちを出して戦える、常にあきらめないチームですね」

 

──引退を惜しむ声もありますが。

 

「個人的には完璧なタイミングだと思っています。19歳からラグビーキャリアが始まり、(33歳の現在は)メンタル面でもフィジカル面でも疲労が溜まっています」

 

──元神戸製鋼、現釜石シーウェイブスのHO松原裕司選手から声はかかっていませんか。

 

「(冗談っぽく)ソウソウ。オネガイシマス(笑)」

 

──優勝はかないませんでしたが。

 

「意識として一番強くあったのは、優勝するためにというよりも自分がどれだけ楽しめる環境に行けるかということを意識していました。同時に、自分にとって(だけでなく)家族にとってそれだけ楽しめるか、ということでした。自分にとってこの(日本での)6年間はキャリアの中で一番楽しめた時期だったと思います。いかにラグビーを楽しめるか、それを楽しんだ上でいかに生活を楽しめるか、それが命題でした。パナソニックでの最初の1年間も楽しかった。太田でも神戸でもたくさんの友達ができたことは、決して忘れることはできません」

 

──スタンドで「We don’t forget」の横断幕を掲げていたファンにメッセージを。

 

「(神戸製鋼での)過去5シーズン、自分を含め神戸製鋼をサポートしてくれてありがとうございました。(その間)成功を収めることができていませんが、それでもサポートをし続けてくださったファンのみなさんに感謝の気持ちを伝えます」

 

(日本のラグビーのレベルは6年間でどう変わりましたか?)

 

私がそう聞こうとした瞬間、時間の関係で囲み取材は打ち切られました。答えを聞けなかったのは残念でしたが、「もしかしたら」「日本に帰ってくるかも」しれないフーリー選手に、いつかこの質問をぶつけてみたいと思います。

 

日本を愛し、神戸を愛した世界一のCTBジャック・フーリー。目の覚めるような素晴らしいプレーの数々をありがとうございました。

 

<取材・文・撮影/齋藤龍太郎(楕円銀河)>